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治らない・・・

今月、4回目の病院に行ってきました。

先週、病院で処方されたクスリが切れるタイミングが、ちょうど回復のタイミングになりそうだったのですが、日曜、月曜、火曜とぶり返した感じ。夕方には37度くらいの微熱が出る。

8日分の風邪薬やら咳ぜんそく用の吸入ステロイド、気管支炎予防薬などをもらってきました。

早く治してしまいたいものです。
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咳ぜんそく

灘チャレンジの前夜に発症し、一時は回復の兆しを見せた風邪も、いくつかのステージを経て、咳が続く状態がずっと続き、夜に何度も目が覚めるほど咳き込むこともしばしば。

職場でも、ゼミでも「咳ぜんそくちゃう?」と言われ、今日、3度目の病院に行ったら「ぜんそく性の咳かもしれないから」ということで、ついに吸入薬(ステロイド)を処方されました。

喉が痛いのはまだ治らないのですが、吸入してしばらくしたら、あれほど続いていた咳が嘘のように、9割減しました。


咳ぜんそくだったのか。。。

まだどのぐらいで完治するのか、いつ頃までに薬にたよらず咳が止まるようになるのか分かりませんが、咳が続く方の参考になればと思います。

長峰坂

ナダタマ 灘の旅人 第77話「長峰台」を更新しましたよー



数ヶ月ぶりの更新になってしまいました。。。

さほど遠くないのに、なぜか遠い気がして足が向かなかったのも
「長峰坂効果」かもしれません。

ボランティアとは? 記憶とは? 愛とは? 暑さの中で考えること。

朝から晩までプレハブの事務所に詰めてる人間としては、エアコンが自由に使えないというのは結構辛い環境である。秋までは扇風機が手放せない。

扇風機は、文句も言わず、ひたすら風を送り続けてくれる。今日のゼミで、先生が「愛とは与えるもの、恋愛とは代償を求めるもの」という話をしてくれたが、扇風機こそ愛だと思う。(?)

暑くなると脳みその沸点が近づくらしく、考えてみたいことが増えてくる。



暑いほどに集中力が増すというのは、ちょっと珍しいタイプかもしれない。この数日間、二つのことを考えている。ひとつは、記憶の話。

辺見庸の「水の透視画法」という新聞連載を毎度毎度熟読しているのだけれど、「戦争の記憶とのかかわり」という文章を読んで深く考え込んでしまった。

欧米には、89歳のナチ戦犯を裁判にかけ、懲役15年を求刑するような"ナチ・ハンター"がいる一方で、日本の戦争の記憶は「病的なまでに薄い」と言う。

戦後64年が経ち、89歳のナチ戦犯を105歳まで獄中につなごうとする戦争の記憶に、辺見庸は「そこまでするのか。そこまでしてもよいのか。そこまですべきなのか。記憶というのはさほどまで執拗なものなのか。」と問う。そして「自問は徐々にわが身に向かい」、日本は「たくみに忘れたふりをしている」と指弾する。

震災15年を迎える頃、神戸あたりでは再び「忘れてはならない」の大合唱が響くことだろう。僕は、このセッションに、どう向き合うべきだろうか?自問を重ねてみるが、答えはまだ出ない。



考えている二つ目のことは、「ボランティア」についてだ。

ある学生さんが、「ボランティアとは何か?」という相談にきたという。

僕はたまたま非番の日だったし、それに応えることが「学生ボランティア支援室」の業務なのかどうか分からないが、せっかくなので正面から答えてみたいと思った。

二日ほど考えてみて、思考の途中経過は省略するけれど、ボランティアとは「搾取されない労働」ではないか、という仮説的な定義を思いつき、この定義がどこまで「使える」ものか、しばらく試してみようと思っている。

自発性とか無償性とか先駆性とか公共性とか、そういう定義があるとかないとか、本で読んだことがあるけれど、堂々巡りで本質を突かない定義だと感じてきた。アドボカシーが必要だとか、ボランティアとは共感する力だとか、そういう話も見聞きしてきたし、誰かに聞かれたら、そういう話をしたこともある。

しかし、ボランティアの本質とは労働である。賃金という対価を得る賃労働と消費が人間活動の主流となった近代資本主義社会においては、労働形態の残余カテゴリーとしてボランティアが語られてきた。ボランティアには「賃金を対価としない奇特な人びと」というレッテルが貼られ、賃労働とボランティアという二元論が招いた罪は大きいように思える。

しかし、ボランティアであっても労働であり、価値の生産であると考えれば、一時流行った社会関係資本の議論に接続することも容易だ。ボランティアとは、価値を生み出す労働であり、生産された価値は有形無形の資本として蓄積されると考えたらどうだろうか。

表面的な社会変革力への期待とか、市民社会論とか、そういうアプローチと距離を置きながら、ボランティア労働が生産する価値と蓄積される資本はいかなる形態を持ち、その資本と投資がどのようになされ、どのような社会変革が生じているのかを考えることで、ボランティア論には別の回路が開けてくる気がする。

ま、仮説程度の話だし、既存の議論はあまり踏まえていないので、「そんなこと、みんな分かってるねん」ということかもしれない。そうであっても、自分としてはちょっとしたセレンディピティだったのだ。




そんなこんなで、明日も暑い一日になりそうです。がんばりましょう~。

暑い…

20090618134309
電気代を使うと事業費が減ってゆき、人件費まで削らねばならないとのことで、エアコンはなるべく使わない!という事務所の方針。

もっぱら朝から夕方までずっと事務所に詰めている自分としては、せめて何度以上ならエアコン使っていいというガイドラインが欲しいところ。




暑い……

ゴーヤ植え替え

自宅のベランダで、気が向くままに種を蒔いた鉢からは、バジルやらネギやらインゲン豆やらの芽が吹き出して楽しげな雰囲気になっている。

バジルにアブラムシがちょっと付いてるなぁと思いつつ眺めていたら、別の虫(ヒラタアブの仲間?)がやってきて、アブラムシの数が減ったりしていた。まさに自然の摂理、生態系の妙。テントウムシが来たら完璧だけど、彼らの食欲を満たすには、アブラムシの数がちょっと足りないかも。(何の心配?)

もう一つの小さい鉢に植えたゴーヤの種は無事に芽を吹いて10センチぐらいになりつつあったので、職場のプレハブの前に巨大なプランターを設置して植え替えてみた。大きく育てば、「緑のカーテン」になって、プレハブの極暑をやわらげてくれるかもしれない。

部屋の中で飼っていた金魚が先週突然☆になってしまったので、二つある水槽のうち一つが空室になってしまった。もう一つの水槽で大繁殖しているウィロモスの間でひっそり暮らしているヒメダカに引っ越してもらうか、新しいオトモダチを連れてくるか、もうしばらく悩んでみたい。

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