Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

今日の姪模様

200712311745332
20071231174533
姪っ子のあまねちゃんです♪

ケーキより小さい!
スポンサーサイト

今日の空模様

200712311715102
20071231171510
20071231171508
満腹の泥酔で極寒です。

ナダタマ更新

少し報告が遅くなりましたが、ナダタマ更新しました。

今年最後の更新は、篠原叔母野山町(前編)。

年またぎで、新年は後編をお送りす予定。

あまり気分が乗らなかったので、タダオ建築の写真を撮るのは止めました。

寒いですー

20071230221018
家の中もだいぶ冷え込んできました…。

ガンダム製造中。

20071230174534
ここでガンダムを生産しているとのこと。

案外、秘密基地っぽくなくてガッカリですよ。

今日の空模様

200712291423542
20071229142354
静岡に帰省します~。

新大阪発上りのひかり号自由席はかなり空いてますね…。 

雨がやまないけど論文も進まない

今日は母の誕生日です。母上、はぴーばーすでー☆

正月明けまでに論文を一つ完成させねばならなくて、どうしてもその作業が終わらなくて、たぶん年末年始も実家で作業することになるのだろうけれど、とりあえずできるところまでやっておこう・・・・ということで、今日は神戸で作業して、明日静岡に帰省します。

明日は帰省ラッシュだし、お天気もビミョウな感じだったから、どうしようかだいぶ悩んだんだけど、仕方ないと諦めて今日は朝から研究室で論文書く作業を続けてるというわけで。

研究室に出勤する時は、雨の中ぼちぼち歩いて来たのですが、
夕方になる頃には雨は土砂降り。止む気配もなし。
結局、もうしばらく帰れなさそう。

だからといって、論文がサクサクと進むわけでもなし。。。。

今日の空模様

20071228121408
20071228121407
雨の中、歩いて研究室へ。

年末とは思えない暖かさ。明後日からの寒波が嘘のようです。

場所の記憶の時空間性2

記憶の場所と場所の記憶について、ちょっと前に書いた。もう一つ、地理学の立場から記憶に注目する上で重要なことが、記憶の時空間性についてではないかと考えるようになった。

これまで、認知地理学において認知空間の時空間性に関心を寄せる研究が行われてきた。メンタルマップ研究や時間地理学では、認知空間は統計分析の対象として扱うことが可能であり、逆に統計的にが困難な側面については目を向けないような傾向があったのかもしれない。随って、計量的に扱うことが可能な認知空間の時空間性のある側面にのみ関心が寄せられてきたのかもしれない。

だが、たとえば場所の記憶を考えたときに、記憶として示された場所の時空間性に関心を寄せる必要があるのではないか。場所の概念は確かに非計量的な側面を重視するものである反面、まったく時空間性を持たないものではない。むしろ、いつの時代でも時間でもなく、どの場所でもないというような、時空間性を持たない場所の記憶というのは存在しないのではないか。

もう少し具体例を重ねていく。たとえば神仏や神話の世界などの宗教的世界の記憶についてはどうか。固有の時間や場所を含む記憶もあれば、永遠の時間だったりどこでもない場所の記憶という場合もありえる。震災の記憶ならば、発災の瞬間の時間-空間を指す場合や、その後の復興過程や空間的社会的な変化を含む時間-空間の記憶が指し示される場合があるだろう。その記憶の時空間性の違いを捉えることで、記憶の発信者や受信者をめぐる社会関係や政治的状況、文化的時代的背景を探る重要な手がかりになるのではないか。

戦争の記憶であれば、疎開や出征した個人の戦争体験の記憶、広島、長崎、沖縄、東京など場所の出来事としての記憶、そして政府が提示しようとする「公共の記憶」がせめぎあう状況である。そこで指し示される戦争の記憶の時空間性に着目することは、記憶を考えていく上で一つの手段になり得るのではないか。記憶が物語として現れるならば、その物語の時間-空間性に注目することがあるだろうし、物語にならない断片だとしても、集合的-非集合的な記憶の時空間性を意識することで、記憶自体の変化や記憶の主体や舞台となっている場所の状況を捉えることはできないだろうか。

でもまだ、これではまるで考える道具として鍛えられていない感じだ。もう少し掘り下げていかないと。。。

今夜の飯模様

20071227233738
暴飲暴食シーズンに突入したようです。

今日の山模様

20071227164724
また山が少し育ってます。昭和新山を観察してる気分です。

電話メール不調

電話のメール自動受信機能が不調です。
自分でサーバにアクセスしないと、受信できない状態です。
返信が遅れそうです。

復旧の予定は未定です。
Wilcomのサイトには障害情報が出てないので、
端末のエラーかもしれません。

お急ぎの用事の方は電話でお願いします~。

今日の飯模様

20071227003448
山盛り×2@ながた園

行く直前に食パンと串団子を食べたのが悔やまれるところです…

今日の空模様

20071226134300
20071226134258
暖かくて快晴。気持ちよい天気です。午前中は高校生とお茶してました。

食堂前の山が昨日より高くなりました◎

正月寒波

気の早い話で申し訳ないですが、正月寒波が来そうです。

週間天気予報にいよいよ来年の予報が出るようになってきたわけですが、
静岡は氷点下の予想が出ています。

森田さん曰く、「北日本を中心に荒れるのは確実」だそうで。

30日ぐらいからグイグイ寒くなってくるようです。
ご注意ご注意。

今日の空模様

20071225164858
朝から2時過ぎまでもちつきでした。寒かった&疲れた…。

夕方に研究室に上がってきたら、大学の敷地では、重機がぐをんぐをん言うてました。

モリナカダッシュ

今年もモリナカダッシュの季節がやってきた。

ご存知ない方に、改めてモリナカダッシュについて解説しよう。

モリナカダッシュとは、六甲のコープの向かいにあるケーキ屋さんのモリナカ本店と、六甲口交差点の北西にあるモリナカのバックヤードの間を、店員さんやパティシエさんらしき人が荷物を抱えてダッシュで行き来することを指す。

店とバックヤードをつなぐ歩道は、ジーンズショップ「ラブ」や、「ハーフタイム」が立ち並ぶ商業地域である。ルートにおいて、とりわけ山場となるのは山手幹線を石屋川車庫に向かって走る市バス92系統のバス停前である。

バスからワラワラと降りてくるお年寄りを避けながら、イチゴを満載した箱を抱きかかえたモリナカのスタッフがイライラしながら駆け抜けてゆく様子は、かつての箱根駅伝において箱根登山鉄道の踏切に引っかかった駅伝選手を髣髴とさせ、もはや灘区東部のクリスマスシーズンにおける風物詩と言っても過言ではない。

このモリナカダッシュは、本来的なイチゴのシーズンでもないのにも拘わらず、12月24日前後にイチゴが載ったケーキを食べる日本人の風習に基づくものであるとされる。そのため日本国内における温室によるイチゴ栽培は、12月中旬から後半に出荷のピークを迎える。

ちなみに、クリスマスケーキの生産に伴うCO2排出量を厳密に計算した上でケーキを食べればいいじゃん!と強く主張する環境保護団体などによって組織された「反クリスマスケーキ連盟」(以下、反クリ連)が、連日のようにサンタクロースに扮して街頭デモや演説などを行っている。

反クリ連によれば、クリスマスケーキの生産によって排出されるCO2の分量は、ケーキの直径を4乗した数値に1.88をかけた数値kgであるとされ、直径30センチの10号ケーキの場合、樹齢20年の立ち木4本分に相当するとされている。

クリスマスシーズンに全国で消費されるケーキの個数から、排出されるCO2を試算したエコケーキ研究室によれば、毎年淡路島一つ分の面積の森林が、クリスマスケーキによって消滅しているという。

こうした批判を受けて兵庫県の淡路島では、イチゴの代わりに、特産品のたまねぎを載せたクリスマスケーキを提案している。淡路島では江戸時代より、タマネギスタイルのサンタクロースが「タマネギークリスマス!泣く子はいねえか?」と言いながら、子どもたちにタマネギを投げつける風習が長年親しまれていることで知られている。

(後半はジョークですのであしからず。美味しく楽しくケーキを食べてください)

めりー

めりーーーケンパーク♪

めりーーーサンタクロース(?)

めりーーーポッターと賢者の石  (??)

めりーーーだよ全員集合 (・・・?)

めりーーー、三丁目の夕日

めりーーー特急殺人事件

めりーーー(以下自粛)

場所の記憶の時空間性

まだまとまりきらないので、ただのメモです。

・場所=時間+空間+社会だと捉えるアプローチがあるならば
・場所の時空間性に着目することで、場所の形成や特性や差異がより明確になるか?
・場所の記憶の違いを時空間性の違いから捉える
・ふるさとと原風景の違いは時空間性の違いとして捉えることが可能かどうか?
・消費される場所に通底する、相似的な時空間性
→個性化を目指す場所の意図せざる結果?
・震災の記憶の多様性には、表象されるも記憶の時空間性の違いが含まれる。
・過去に根ざした時空間性を持つ災害の記憶と、時間性を有さないハザードマップの災害知

今日の空模様

20071223145726
雨が上がりましたが、どんよりです。空気が妙に生暖かい感じです。

ナダタマ更新!

ナダタマ 灘の旅人 第39話「篠原」

更新されています。。。(受動態?)


内緒ですけど、ちょっと怖い感じのエリアです。。。

なぜかって?

そりゃ言えませんので、自分で行ってみてください。

おめえは夜更け過ぎに行方不明となるだろう

・・・・・・この替え歌、達郎さん歌ってくれんかなぁ。


土曜は朝から雨で、ずっと自宅待機でした。

ちょうど勉強していた本が「聖なる空間と時間」というタイトルで、クリスマスっぽい!と思いきや、ぜんぜんそんな内容でもなく、読みながら鬱、読み終えて鬱。

夕方、散歩と買い物を兼ねて六甲道あたりまで出かけたら寒くて仕方がない。
鍋の材料を買って帰って死ぬほど食ってすぐ寝てしまいました。

結局、3000歩も歩かない一日をすごしました。
飛べない豚になりそうです。


写真00021
何の関係もないけど、郡上八幡の橋からの写真。
子どもが川に飛び込んで遊んでる、例の橋。

空間という音楽

20071221180705
都市空間という音楽を、空間が奏でる音楽を、聴くことが出来るだろうか。

建築が奏でる音楽と、街路や鉄道が奏でる音楽の間に、ハーモニーや不協和音を見い出すことが出来るだろうか。

(写真は夕飯のニンジンサラダご飯)

今日の空模様

20071221163901
明日は雨みたいですね。

大草原の大きな肉

200712201352542
20071220135254
20071220135253
モンゴル方面土産。開封したときの衝撃といったら…も~う。(?)

塩漬けの牛肉の塊を干して揚げたらこうなるかな…

白ごはんかビールが欲しくなります。

新しい仮想敵としてのUFO

降って湧いたようなUFOの話題。
つまるところ、アメリカさんの方針転換だろうか。

地上の国を叩くと痛い目に遭うから、UFOを仮想敵国として設定したらエエのではという誰かさんの入れ知恵に、ブッシュが「よっしゃ、それでいきまひょか」と言ったとか言わなかったとか。「フセインが化学兵器を製造してる」と言いがかりをつけて戦争を始めるぐらいだから、「UFOに備えよ」と言い出すぐらい、想定の範囲内だ。

その結果、「日本も、UFOを仮想敵とした防衛体制を組み直せ」との指示が飛び、
突如として「UFOに備えよ」という議論が出てきたと考えたらどうだろう。

このまま議論が進んでいって、予算措置などがなされるようになれば、
冗談抜きで「対UFO防衛体制の整備」とかに血税が注がれていくかもね。

それにしても、「ないということが証明できないから備えよう」という理屈を国会議員が普通に喋っていることの恐ろしさ。。。。そのうち、ハリーポッターの「名前を言ってはいけないあの人」が来るかもしれないとか、見えない魔法王国がマグル(人間?)の殲滅を狙っているとか言い始めるかもしれない。

あ、でも、もしかしたらこれは、年金問題で攻撃されないための「煙幕作戦」かもしれません。

学者のみなさん方は、軍事国家論や福祉国家論ではなく、ファンタジー国家論なるものを検討せねばなりませんぞ。都市空間のディズニーランド化が問題ではなく、国政のディズニーランド化について頭を悩ませねばならない時代が来るなんて・・・。

相当凹んでます。。。

記憶の場所と場所の記憶のための試論1

(研究のために書いたもので、大変長くて読みにくい文章です。)

これまで、このコトについて未整理のまま考えてきたことに気がついた。我ながら、自分の思考の悠長さ加減に腹が立つ。記憶の場所と、場所の記憶の違いについて、とりあえず試論的な文章を書いてみる。元はと言えばルフェーブルの「表象の空間」と「空間の表象」から、安直に発想しただけなんですけどね。。。

まず、言葉の定義を試みる必要があるのだが、最近では、場所とは何か?という問いが成立しなくなりつつあるのではないかと考え始めている自分もいる。つまるところ場所とは、対象を見つめるわたしの視角のあり方に過ぎない。目の前にある空間や土地を場所と言い換えたところで、当然のことながら「それ」自体は何も変わらない。分析概念となった場所という言葉を用いて「場所は大事だ」と言ったところで、それは既に意味をなさないのではないか。

かつては人文主義地理学の立場から「場所への回帰」が唱導された。そこで想定された場所とは、ノスタルジックでヒューマニスティックなものであり、近代化する都市空間を批判するために「古き良き場所」が設定されたのである。均質かつ交換可能な都市空間が無限に増殖する事態を批判するために場所の真正性が説かれた。自由かつ不安な近代的空間に対して、親密で安心感のある伝統的な場所が据えられた。近代社会と伝統社会の二元論の中に、空間と場所が位置づけられてきたのである。

ところが、ノスタルジックでヒューマンな場所という設定は、本質主義的であるとの徹底的な批判を受けて崩壊してしまった。1980年代以降、社会科学全般に押し寄せたポストモダンや構築主義の洗礼を受けて、場所は「分析視角」としての意味を与えられた。その結果、「正確な地図や数値で表すことができる空間」ではないもの・・・というように、消去法的にのみ立ち上がってくる概念となったのではないか。そして、場所の中には「それ以外の視点」の要素が無闇矢鱈と詰め込まれ、場所とは何かを説明できなくなってしまったのではないかという気がしてならない。

まあ、そんなことを愚痴愚痴言っても仕方ないので、とりあえず場所を定義しておかなければならない。上述したように、正確で「科学的」な地図として表される土地の広がりやものの配置ではなく、意味や解釈や情緒を含むものが場所である。さらに権力の作用や支配-被支配の関係の場であり舞台となるものでもある。それは所与のものではなく、社会的に構築されたものである。人間の存在を前提とし、人間の働きかけや作用によって生成し変容し構築されるものである。結局、目の前にある土地のことを指しているのは間違いないのだが、その土地を舞台とした可視不可視、有形無形、有象無象の諸作用を含むもの・・・ということだろうか。

そして本題。場所の記憶とは、ある場所についての記憶のことだ。地域の歴史とか出来事とか、その場所にまつわるいろいろな事柄についての記憶、ということになる。ただし、場所の記憶として指し示される「内容」は、必ずしも元の場所と「同じ」場所であるとは限らない。そのような記憶の「特性」が、記憶概念に着目する所以でもある。

単純に言えば、場所≠場所の記憶ということだ。そこに、場所が変容し再構築される仕掛けがある。それは、「熱い社会」としての近代社会の躍動を捉える視点になるだろうし、メンタルマップやヴァナキュラーな地図と科学的な「透明な地図」、そして現実の場所をつなぐ視点にもなる。

スケールの小さなものから大きなものまで含めて、我々は場所を構築する営みを続けている。トイレの個室から国家・世界に至るまで、数限りないスケールの場所を想像することができる。そして、それらの場所は勝手に変容していくのではなく、我々が手を加えて変容させているのである。場所という考え方は、地理学の世界をとても豊かにさせる考え方だ。正確さ一辺倒の地図ではなく、これを場所として捉えることで、極めて多様な視点を得ることができる。

そうした場所のダイナミズムの中で、場所と場所の記憶のズレや歪みは大きくなる。変化の速度が大きい時代になってきたこそ、そうしたズレが意識化され、常に問題化されてくるのである。それは著しい社会的空間的変化をもたらす大災害に直面した時に、とりわけ顕著に現れる問題でもある。

他の社会科学分野において、これまで記憶について数多くの議論が重ねられてきた。それらの多くが、記憶の再生産と変容に関心を寄せ、権力者と被支配者の記憶のせめぎ合いに注意を払い、記憶の持つ力に驚嘆し、記憶と文化を重ね合わせて見つめてきた。ここで取り上げている場所の記憶は、むしろこれまで議論されてきた記憶論に沿うかたちで展開されるものだろう。

ある場所の記憶。それはある土地についての記憶であり、出来事についての記憶であり、その土地の社会やイメージや歴史や文化についての記憶でもある。地域イメージとして語られ、地域アイデンティティの一部を構成するものでもある。

そして、同時に記憶の場所についても検討する必要がある。記憶の場所とは、記念的場所であり、記憶装置としての場所ということになる。ピエール・ノラ『記憶の場』をはじめとして、顕彰行為を行う場やシンボリックな場所づくりへの関心は、その装置を介在させて構築される「記憶」に着目している。

場所の記憶と記憶の場所は、相互に深く関連していることは言うまでもない。たとえば、こうした分野の研究でしばしば取り上げられる「無名戦士の墓」の問題などは、まさに場所の記憶と記憶の場所の議論が交差しているからこそ注目されるのである。戦争が起きたことや亡くなった兵士のことをどう記憶するのかという問題と、それらが思い起こされる場はどうあるべきなのかという場所の問題は、密接に関連しながらも異なる軸から語られる必要がある。

つまり、場所の記憶と記憶の場所を区別することで、混沌とした記憶の議論の中から場所に関連するエッセンスを析出させることができるのではないかと考えている。

とりあえず、場所の記憶と記憶の場所についての試論はいったんここまで。続きはまた今度。

論文から論文へ

論文書くために論文読んで論文読んで考えて・・・というのが最近の主たる日常なので、論文の話になってしまいがちなのは仕方ないわけですが、今日は、以前書いた自分の論文について「あー、あのとき、もうちょっと踏み込んで、こうやって書いておけばよかったぁ・・・」という後悔と反省に浸ってしまった。

そういうのを踏み台にして、次のところに進めるように、論文読んで論文読んで考えて論文書いてということを重ねていくしかないわけですけどね。そうすると、今度フィールドに出たときに、また新たな視界が開けてくるかもしれないわけですよ。見えていなかったものが見えてくるわけです。(※別に、オカルトな話ではありません。。。)

ずっと前に、「世の中を見る目を鍛えたい」という人生目標のようなものを考えたのを思い出しました。「見る目を鍛える」というのは、まさにこういうことの積み重ねなのだろうかと思ったりします。

タイトルなし

20071218155216

今日の空模様

20071218134910
久しぶりに歩いて研究室まで上がってます。

寒すぎず、なかなかよい気候です。

Extra

記事とコメント

プロフィール

aiai

Author:aiai
過去ログです。

月別アーカイブ

ブログ内検索

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。