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長めのアイドリング

アイドリング状態から、なかなかエンジンが暖まらない感じが続いている。

新聞屋さんからデパートの商品券が届いたり、
インドで買ってきたインドの神様の絵本をめくってみたり、
ナダタマ更新の準備をしてみたり。。。

ぼちぼちと始動していきますよ。
明日はゼミです~。
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村の子どもたち

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インドも日本も、子どもの表情は大して変わらん…かな?

インドの村の売店の前にて。 

生活再建。

春から投稿論文の仕上げと研究室の引っ越しと副読本調査と学会発表とインド調査・・・が絶え間なく押し寄せてきて、気がついたら年度が半分終わって後期に突入していることをしみじみと実感。姪っ子が産まれておじさんになったり、20代最後の年齢になったりと、メモリアルな半年でもあった。

とりわけ忙しいという状態でもないけれど、流されていく感がないこともない。あと半年はじっくり博士論文に腰を据えて取り組まねばならないということで、生活の立て直しを図りたいところ。だが、インド調査の事後処理や資料整理、その他諸々の片付けなどが終わらなくて、気分的にもなかなか整理できなくて、前向きな仕事に取り組めない。

とりあえず、インドに持って行ったパソコンが不調になる前にデータのバックアップを取ったり、ブログの「PHSから更新」というカテゴリが増殖してしまったので整理してみたり、という作業から始めてみた。気持ちを落ち着かせるにはちょうどいいのかもしれないけれど、あまり生産的な気分にはならない。

買い換えようと思っていたひげ剃りは、インドから帰ってきたら急に元気を取り戻して健気に働きはじめた。インドで買ってきた子ども向けのインドの神様絵本の御利益かな。。。

まだ数日間は、遠い目をして過ごしているかと思います。
そっと見守っておいてくださいませ。

帰国しました

無事に帰ってきました!

以上、とりあえずご報告までに。

デリーにて休息中・・・

日本に向かうヒコーキは深夜のフライトなので、現在デリー郊外のグルガオンという町のホテルで休憩中。足かけ24時間近いフライトに備えて、ゴロゴロしてます。

それにしても、デリーの砂埃はすごいですね。
夜のハイウェイでは、500m先の照明が見えなくなります。
昼間でも、部屋から眺める外の景色は、夕暮れ時のような日差しに包まれています。

ホテルの部屋で無線LANが使えるので、のんびりとwebしたり音楽聞いたりしています。

今日の夜には台風が関東に接近するそうですが、明日夜の関空は大丈夫そうです。無事にヒコーキが飛ぶことを祈るばかりです。

調査は終了、あとは帰国準備。

10月26日早朝、インドール最終日

昨日、村での最後の時間を過ごしました。調査の日程はすべて終わり、あとは無事に日本に戻るだけになりました。期間の前半は、2度ほど体調を崩してベッドで寝込んだこともありましたが、後半はとりあえず快調な状態が続きました。いくら乾期の涼しいシーズンに入ってきているからとはいえ、日中は33-34度、湿度は30%前後、日差しは沖縄以上の気候。一日中、村の中や畑を歩き回ってるわけですから、疲労が重なって体調不良になるというパターンでした。

日本から二日かけてデリー、インドールと移動して、滞在先のインドールのホテルから車で一時間のところにある村に2週間近く通ったわけですね(帰りは三日かかります)。自分にとっては、この村がインドの最奥部到達地点となりました。

この2週間ばかりの経験で、インドとはこんなところだ!とか、そういう大それたコトはもちろん言えません。それは「日本とはこういう国だ」「灘区とはこんな場所だ」と、一口に言えないのと同じことなのかもしれません。

ただ、自分が通った村では、この10年20年で劇的な変化が起きているということはよく分かりました。最終日はお寺の祭祀を担うブラーミンの話を聞きましたが、この10年ほどでお寺が新築され、新しい家が増え、バイク、トラック、トラクター、電気、洋服、食べ物など、新たな生活用品や生活環境がもたらされてきたということは強く実感しているようです。村内の道路も部分的に舗装され、耕作者や農業労働者として働いていた村民の多くが、工業団地の工業労働者として働くようになりました。彼は「村は豊かになった」と、肯定的に捉えているようでした。

一方で、下位カーストの農業労働者の賃金は低く抑えられ、村内の社会格差は相対的に拡大しています。飲み水の汚染や農薬による体調不良、学校の教育問題(行きたくても行けない)、就業困難や政府からの援助の配分についてなど、生活がほとんど向上しない下位カーストの人々の不満は高まっています。

村の中で、屋根も壁もないところで寝ていると訴えてくるじいさんがいましたが、村外から来た季節農業労働者も畑で寝泊まりしているそうです。そういえば、夜は結構肌寒い季節になってきたので、布団屋さんをあちこちで見かけるようになりました。自転車にベッドとカラフルな布団を積んで、村や町で布団を売ってます。

全体的に見ると、村の生活は向上しているように見えます。村の半数を占める農業経営カーストの人々の家は大きくなり、工業団地に通う労働者のための貸家業を始めたりしています。トラックを購入し運転手を雇い入れ、ケータイで市場価格をチェックしながら1000キロほど離れた大都市の市場に商品作物を売りに行ったりしているそうです。

そうした現金収入が新たな投資に回されて農業の機械化が進めば、農業労働者としてしか働くことが出来ない下位カーストの人たちの生活はますます困窮していきます。農業への資本投下だけでなく、二輪を買い、ケータイを買い、子どもを学校に通わせます。そして、お寺や祠など、自分たちの宗教的精神的生活を支えるものへの投資も拡大していることが分かりました。

村の中にあるお寺は住民の寄付によって10年ほど前に新築され、神様の像も新たに3体ほど増やすことができました。村人が結婚したときにお参りする共有の祠も新築されたり、個人の家の前で祀る神様(ベルという神様)が、ここ5年以内に競い合うように新たに設置されたりしている状況も見られました。日々のささやかな祭祀であっても、やはり先立つもの(お金)が必要ですからね。

あまり詳しくないのですが、村の生活を「向上」させた「工場」は、日本とインドの合弁企業だったり、輸出品のための部品工場だったりするそうです。その工業団地のすぐ近くにある別の村では、山の上に安置されていたシヴァ神像のために新たに寺を作り、我々が通っていた村の人々も、毎年祭りの季節には連れだってお参りに行っているそうです。

そのように、この村だけでなく、広範囲にわたって工業化と宗教施設の充実化が同時並行で進んでいることがよく分かりました。都市部での話ならばよく分かるのですが、農村部でもこうした変化が起こっているということは、大変興味深いことなのではないかと思いました。村栄えて地蔵増える・・・というイメージでしょうか。

自分が通った200世帯ほどの農村は、10億人以上が暮すインド亜大陸においては点の一つにしか過ぎません。しかし、そこから見えてくる状況というのは、決してこの村だけの話ではありません。異なる宗教やカーストが併存し(共存という言葉はちょっと違う気がする)、牛や水牛とトラクターとケータイを同時に使いこなし、でも道路ではやっぱり牛が最優先という状況は、当分続いていくんだろうなと思いました。
This is India!

ところで、村では、住民の人の写真を撮ったら宿に戻った時にプリントして、翌日村で写真を配るということをしていました。調査のお礼という目的で、最初は良かったのですが、途中から子どもから年寄りまで、我々の姿を見る度に「フォート、フォート!」と言って、写真を要求するようになりました。写真を配る時などは、「ワシの写真はないんけー!?(もちろんヒンディ語)」というようなちょっとしたパニック状態になったりして、複雑な気分でした。

昼飯を食っている時も、常に子どもからじいさんまで10人ぐらいに取り囲まれて「フォート、フォート」とせがまれて大変です。そこで毎日、写真から気をそらせるためにいろんな小ネタをやってみました。結果的には、「写真もくれ、ネタもやれ」みたいに要求が分割されて「ナヒンヘ~ナヒンヘ~(あかんよ。もうしないよ。もうないよ)」と笑顔でかわすだけだったので、あまり変わらなかった気がしますけど・・・。

恥ずかしながら何をしたか書き残しておくと、一番うけたのは、両手を合わせて指を蛇みたいに動かす「ナマステ・スネーク」(勝手に命名)でした!あとはパントマイム風に「見えないボール」を子どもに渡してみたり、音シリーズ(バイクやヘリコプターの物真似、ボイスパーカッション、指パッチン?など)をやってみたりして、子どもたちと遊んでました。(ちなみに、口笛や指笛は村の人の方がはるかに上手いです。広い畑では、大声出すより指笛の方が便利ですから!)

最終日には、あまりに写真をくれくれとうるさいので無視して歌を歌いはじめたら、「日本の歌をもっと聴かせろ!」というお兄ちゃんが出てきてくれて、結果的には楽しい歌の時間を過ごすことが出来ました。まあ、少々無理はあったように思いますが、「写真から気をそらす」ということには成功したのかもしれません。

ところで、自分が滞在しているMP州西部では、マルヴィ語というローカル言語が使われているそうです。そのマルヴィ語で「こっちに来てよ」という意味の言葉を「アイジャワ」と言います。そういえば、写真を撮る度に、村の人が「アイジャーワ、アイジャーワ」と言ってました。「オレも、この村じゃすっかり有名人だなぁ~」なんて思ってたら、「こっちに来て一緒に写真に写ろうよ」と言ってただけでした。。もし、日本のアイジャワさんがMP州西部に来られるときは、勘違いしないようにご注意下さいwww

まあ、そんな感じで村の調査を終えて(?)、いよいよ日本に戻る日が近づいてきました。先生曰く「毎度毎度、帰るのが大変なんです・・・」ということらしいです。帰国間際にトラブルに巻き込まれたり体調を崩したりするパターンが多いということなので、気を引き締めていきたいと思います。
予定通いけば、日曜夜には関空に到着するはずです~。

ではでは。2007_1023_140105AA.jpg

ホテルの近くにある石の神様「ベルバグワン」。ドゥルガの仲間の神様です・・・って言っても、よく分かりません。。。

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村のすぐ手前にあるカリフラワー畑。ヒンディ語でゴビ。ジャガイモはアル。「アルゴビ」というカリフラワー+ジャガイモのカレーがめちゃ美味です。

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村から300mほど離れた畑の中にある「マリマタ」という神様。下位カーストの人たちが結婚する時に、この神様にお参りするらしいです。
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ディワリというお祭りの準備。家の玄関の脇あたりに、女性が書きます。門松みたいなもんらしいです。

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ハヌマン様。像は大昔からあるそうですが、建物は10年ぐらい前に造ったそうです。村が豊かになってきた証拠でもあります。

インドに来て十何日目

10月23日早朝、ホテルにて記す

10年前に村の全世帯を対象とした記録の追跡調査は、22日昼の段階でほぼ終了しました。その続きの調査として、自分は「村の神様」の調査に着手しました。インド版お地蔵さん研究みたいなものです。ワクワクしてきますねー。

インドの農村でも何か自分らしいテーマを見つける、というのが今回の課題の一つだったのですが、行く前には何したらいいか全然分からず、「行ってから考える」ということだけ決めてました。「走りながら考える」と言えばエエような気がしますが、要するに行き当たりばったりで決めていくということです。

10年前の記録が記された調査票を持って、アシスタントのインド人学生と一緒に村を歩いているわけですね。そうすると、所々にオレンジ色に塗られた石があるのが気になります。アシスタントの彼に聞いてみたら、「あれは●●という神様だよ」と即答したので、インドでは割合メジャーな祭祀物だということが分かりました。

以前、インドネシアのバリ島などに行ったときには、交差点や木の根本などに精霊が宿るということで、多くの人がそこにお供え物をしていました。ところがインドのこの村では、石をオレンジ色に塗りたくって、そこに少々のお供え物をしているんですね。

で、昨日改めて村人に聞き取りをしてみたわけです。はじめは、何か共通の神様を祀っているんだろうなという程度に思っていました。とりあえず、オレンジの石が村の中でどのあたりにあるのかということで、まずは石を探し出しては地図に落とし込んでみました。ロケーション調査です。

村の人やアシスタントに話を聞いていくと、どうやら神様が現れるときの目印みたいな意味らしいんですね。しかも、同じように見えて、違う神様の名前が付けられています。祀っている主体は、あるカースト(ハリジャン=指定カースト)の人たちだけが祀るケースや、村人全体が所有するケース、特定の家族だけが祀っているケースがあるということが分かりました。水牛が池に落ちて死んでしまい、新月の次の夜に神様が現れるので祀っているという話も聞きました。まるで、日本のお地蔵さん祭祀とそっくりじゃありませんか!

22日の午後、村人に石の所在を尋ねながら2時間ほど歩き回った結果、とりあえず13カ所にオレンジの石が置かれていることが分かりました。しかも、村の中のカーストごとのクラスタ(集住地域)とほぼ一致するものの、村のすぐ外側に「村民共有の神様」の石が置かれていたりしていて、ますます謎は深まるばかりです。

インドの社会というのは、今なおヒンドゥ教思想に基づいたカースト制度が絶対的に支配しています。村の人の生業から日常生活、年中行事や食べるもの、飼う動物までもが決まっています。そうした状況を前提としながら、まずは、どこでだれがいつ何をどのように祀っているのかということを把握したいわけです。

今回の10年間の変化を追う調査では、経済的社会的な変化を追うことが主眼とされており、ローカルな文化的な側面については、あまりフォローされていません。グローバルな経済に参加していくインドという巨大国家があり、我々は国策によって大規模に工業製品を生産する工業団地の近隣農村の調査に来ています。この村が、どのように変化をしてきたのか。そして、彼らの村の構造変化が、彼らの宗教行動や生活・文化的な世界観に何をもたらしているのか(していないのか)ということに迫ることが出来るのではないかと考えているわけです。

インドを「牛とコンピュータの国」と表現した人がいました(そういうタイトルの本があったような気がします)。今回初めてインドに来て、実際にはそれ以上にギャップの大きな国であるということを垣間見ました。鍋釜に開いた穴を塞ぐ鋳物師のおっさんが、長距離バスのバスセンターの脇にしゃがみ込んで、フイゴを吹きながら鍋を直しています。すぐその隣では、携帯電話に向かって叫ぶおっさんがいてますし、幹線道路では日印合弁企業ブランドのトラックが猛スピードでクラクションを鳴らしながら、サトウキビを満載したリクシャを追い抜き、牛に道を譲ってるんですね。道路脇のサインボードには、ヒンディ語と英語が入り交じりながら、Nokiaのケータイや液晶テレビをPRしてるし、その隣の公園では洗濯屋カーストの人たちが川で洗った洗濯物を並べています。

ちょっと前までは、自分も「インドって、野良牛が都会をウロウロしてるんですよね。すごーい」とか言うてるうちの一人でした。でも、インドに来れば「日本にはなんで道路に牛がいないの?なんでゴミを道ばたに捨てないの?」と思うようになってきました。どちらが奇妙なのかよく分からないんですね。

だからインドでは、「世界は、グローバルで均質なマクドナルドにはならない」ということが、実感を持って言える気がします。日本では気づきにくいかもしれませんが、おそらく日本も日本的なものを多々残しながら世界経済の一翼を担っているんです。それぞれのローカルなものが変容し適合しつつも、それらが失われるわけではない。むしろ、そうしたローカルなものやことを色濃く残す部分と、そうでない部分があり、全体のように見えたものは部分の集合であったということなのかもしれません。

まあ、そんな抽象的な話を言っても仕方ないので、日々のギャップを書いておきます。たとえば、村では一日35ルピーぐらいで働いている人たちがいます。朝8時から夕方6時まで、炎天下の畑で働いて百円ぐらいの収入です。農薬から身を守るすべもなく、皮膚炎が辛いと言います。村の井戸は近所の工業団地の排水で汚染されており、飲めば喉が痛くなり、頭がクラクラすると訴えています。ヤギを追う13歳の少年は、栄養不足によって身長は120センチほどしかありません。もちろん学校には行ってないので、文字の読み書きはできません。そして調査のために村に通う我々は、一本12ルピーから20ルピーのミネラルウォーターを村で飲み、ホテルに帰れば110ルピーのキングフィッシャーのビールを飲むわけです。

矛盾してますかね。それとも、当然のことですかね。今の自分は、これを断罪することも、矛盾だと叫ぶこともできません。ただ、これが現実だと受け止めるのに精一杯です。村の中でも、多額の現金を稼ぐ農業経営家がいます。子どもたちは空き地でクリケットをして遊び、サリーをまとう女性たちは洗濯や家事仕事に精を出しています。暇そうなじいさんばあさんがあちこちでゴロゴロしてますし、仕事のない男達も、村のあちこちでウロウロしてます。

これは、途上国の不幸な村の話ではないんですね。幸福とか価値観とか、自分の尺度を持ち込むことはできない。なんだかよく分からないけれども、とにかく目の前にある村の現実や状況をちゃんと捉えるということが、まずもって自分の仕事にせざるを得ない。その積み重ねの中で、自分なりの答えが出るのかもしれませんし、何もないかもしれない。そんな状況です。

・・・と、ここまでは深夜に書いていた文章ですが、寝て起きたら朝になってました。日が明ければ明るい気分になって、窓の外にある室外機の上に来る鳩の賑やかなダンスを眺めることもできますし、お腹が空いて朝ご飯は何を食べようかと、楽しい気分で備え付けのメニュー表をめくったりしています。

健康状態についてですが、前回20日に近所のネットカフェで更新作業をしていた途中でお腹が痛くなり、その日はずっと寝てました。4日間続けて村に行った疲れが出たのかもしれません。その後、21日、22日と二日間は元気になって調査に参加して、今日はお休みです。明日明後日の二日間で、村での調査は終わります。せっかくインドに来たんだから、休みの日もあちこち見に行ってみたい!という気持ちと、休まず無理して体調崩し、帰国の長旅に支障が出たらまずいなぁ・・・というジレンマにかられながら、


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インドの言葉メモ

せっかくなので、覚えたヒンディ語のメモを残しておこうと思う。同じヒンディ語でも地方差が大きいらしいので、北インドで主に用いられるヒンディ語と限定して考えておいた方がよさそうだ。
 インドを大きく南北に分けると、南インドでは地方の言葉ばかりで共通語としてのヒンディ語が通用しないため、逆に英語が共通語的によく通じるらしい。一方、北インドではヒンディ語がわりとよく普及していることもあり、逆に英語が分からないインド人も多い。実際に、自分が行ったMP州の村では英語を使える住民は少ない。
 まあ、そもそもインド英語は癖が強くて分かりにくい。でも、5回ぐらい「sorry?」聞き返したり、筆談したりする根性があればそこそこ理解しあえるんじゃないかと思う。英語が分からないインド人もたくさんいるので、とにかく、知ってるヒンディ語と英語を組み合わせて、なんとか意思疎通できるように頑張るしかない。
 日本人として長く日本に暮していると、言葉が通じないという体験がほとんどない。だからインドに来て、英語もヒンディ語も完璧には通じないから、何とか伝えよう理解しようという能力が必要だと痛感させられた。たとえば、ホテルのルームサービスで、調査に出る前夜には翌日のお弁当を注文しているのだが、8人前の弁当をまとめて頼む時と、4人前ずつ二つの弁当が必要な時がある。どうやって頼めばいいか・・・。ヒンディ語がよく分からないので英語しか使えない僕と、英語が得意ではない受付のおっさん。2枚のメモにそれぞれ4人前ずつの注文を書いて、「トゥモロー、ウィーアー、2グループ。プリーズ、セパレート。OK?」。向こうは「OKOK」と言うが、分かってない可能性があるので、何度も別の表現で言い直して、明日の状況を説明して、やっと弁当の注文終了。ヒンディ語か英語かというよりも、コミュニケーション能力を鍛えにゃいかんという話になってしまったが、以下は覚えたヒンディ語のメモです。間違ってるかもしれないですが、まあそのへんはご愛敬ってことで。

■ナマステ、ナマスカール、ナマスカルジ
→おはよう、こんにちは、ありがとう、またね、さよなら、どうも等々、インド人と心を通わせる時の挨拶。時間や状況は関係なし。手を合わせる合掌型が丁寧な基本形だが、片手だけだったり、胸の前で指だけを合わせて三角形みたいな形を作ったり、いろいろなパターンがある。

■ラームラム、ラームラムバイ
→「あなたを拝みます」の意味らしい。とりわけお年寄りとの挨拶には頻繁に使う。お年寄りに先にこの挨拶を言われてしまうことが多い。自分も「ラームラム」と挨拶を返すことを「ラームラム返し」と勝手に呼んでいる。

■ダンニャワード
→ありがとう、という意味。ナマステよりもにぎにぎしく、大げさな雰囲気で謝意を伝える時に使う。veryの意味を持つ「バフット」と合わせて「バフット ダンニャワード」と言えば、「本当にどうもありがとうございました。感謝感激雨あられでございます」ぐらいの感じになるんじゃないかっていう気がする。

■ティケッ
→OKの意味らしい。ヒンディ語の教科書には「テイクハイ」と表示されるが、何度聞いても「ティケッ」としか聞こえない。地方によって、結構違う音になるらしい。値段の交渉やルームサービスの注文などで、最後に「OKOK,了解したよ」って感じで使う。

■アッチャー
→最頻出ヒンディ語。はい、良い、OK、good、分かったよ、マジすか?など。相づち言葉としても使うし、良い状態を指す形容詞としても使っているみたいです。

■バフット
→「とても」の意味。英語のvery、関西弁の「めっちゃ」、静岡弁の「ばか」と同じです。

■ガラム
→暑い。ガラムマサラは直訳すれば「暑い香辛料」。辛いとは違うので、ガラムマサラの真意に迫るためには、インド文化を深く理解する必要があるかもしれない。(?)

■ティッカ
→辛い。「辛いです」は、「ティッカヘ」。

■へ・へェ
→「~です」など、最後に付ける。

■ハァン・ナヒン
→はい、いいえ。yes、noの意味。日本人にはちょっと気の抜けた感じの音として聞こえる。

■ジ
→名前の後に付ければ「~さん」という意味になる。丁寧形を作る言葉。また「ハァンジ」「ジハァン」と言えば「はい、そうです」になるし、否定のナヒンと一緒にして「ジナヒン」と言えば「いいえ、違います」という感じになる。

■ディージェ
→英語のプリーズの意味と同じ。食事の注文や売店で、「~、ディージェ!」と言えば持ってきてくれます。ただし、何個か言わなければ分からない場合があるので、数詞も覚える必要があります。

■エク、ドゥ、パンチ、パンドラ
→数字の1、2、5、15。時間にも数勘定でもお金にも使う。今のところ、他の数字は英語で言った方が自分としては手っ取り早い。売店のおっちゃんも、数字は英語で言うてくれるので何とかなるし、紙に数字を書くか、ルピー札を一枚ずつ一緒に数えれば、何とか支払える。ただし、thirty、thirteen、thirdなどのthはすべて「ター」と発音するので、ご注意。ターティー、ターティーン、タード。

■ドカン
→売店のこと。小さいキヨスク。駄菓子屋とキヨスクを足して3で割った感じ。道ばたに簡易建造物として並んでいる。ホテルのすぐ近くにあるドカンで、店番をしてるじいちゃんに「エク・ミネラルワタール、ディージェ!」と大声で言って12ルピー(36円ぐらい)を置けば、ミネラルウォーターを買うことができる。ただし、10ルピー札と5ルピー札を置いても、お釣りは返ってこないことが多い。「小銭を持ってないヤツの方が悪い」ということらしい。たかだか数円ないし十円ぐらいのことなのだが、慣れるまでは異常に損した気分になって腹立たしかった。

■チャビー。
→鍵のこと。鍵がないとホテルの部屋に入れない。ホテルのカウンターで「チャビー」と言えば、自分の部屋の鍵を出してくれる。部屋のクリーニングの時間には、ルームクリーニングのおっちゃんが鍵を全部持ってる。そのため、ルームクリーニング中にホテルに帰ってきた場合、クリーニング係のおっちゃんを探してホテル内を彷徨うことになる。クリーニングのおっちゃんをみつけたら、にっこり微笑みながら「チャビー、ディージェ」と言おう。

■ワタール、タマタール、エアルポルト、プロフェサル・・・
→インドでは「r」の発音を「ル」という音にして発音するので、こういうwater、tomato、airport、professorなどが、こういう発音として聞こえてきます。tomatoもなぜかタマタールと言われてます。rは関係ないやん。。。ちなみに我々の調査はsurveyですが、サルベイと言います。

■ケーラー
バナナ。お腹が減った時の必需品です。1本1ルピー前後。15ルピーか20ルピーぐらい出せば道ばたで房で買えます。1ルピーは3円ぐらいです。

■バース
→もう結構ですと、食事が終わった時に言う。

■ボジャン
→食事

■イエキャヘ?
→イエは「これ」、キャは「何?」、へは丁寧な末尾語なので、「これはなにですか?」という意味になる。うっかり「イエキャヘ?」と聞くと、ヒンディ語で懇切丁寧に説明されてしまい結局まるでよく分からないという事態に陥ることもあるので、英語で聞いた方が正解だったりする。村では、蚊除けの「どこでもベープ」を腰に付けてたら、村の人に囲まれて「イエキャヘ?イエキャヘ?」と聞かれ、「マッチャール(蚊)」と言いながら、手で蚊を追い払う仕草をしたら、みんな一瞬で納得していたのが妙に新鮮だった。まあ、そんな装置を愛用してるのは日本人ぐらいなもんですわ。

■ワラ
→「屋」「もの」という意味。村で、調査に協力してくれた家族の写真を撮って、お礼に写真をプリントして渡しているため、村の子どもたちからはすっかり「フォトワラ!フォトワラ!フォトフォト!」と写真をせがまれるようになってしまった。「フォトワラ」は写真屋さんの意味。「メラ、フォトワラ、ナヒンへ(僕は写真屋じゃないよ)」と何度言っても無駄みたいです・・・。

■チャロー
→「あっち行け」の意味。しつこい物売りや物乞いを追い払う時に使うが、「フォトフォト」と絡んでくる村の子どもを追い払う時にも使う。時々、カメラを向けてあげると満足するらしい。

■チョロ
→さあ、行こう。的な意味。たぶん。

■アプカナム?
「あなたの名前は?」という意味。アプ=あなた、カ=何、ナム=名前。

■メラナム●●へ。
「私の名前は●●です」。メラ=私の、ナム=名前、へ=です。語順は日本語に近いので、わりと分かりやすい。

■スニエ
「すんませーん」またはexcuse meと、店員さんなどに呼びかけるときに使う。

■ドゥルガ
神様のうちの一つ。調査期間中、ちょうどこのドゥルガのお祭りに鉢合わせたために、毎晩あちこちからお祭り騒ぎの大音響のインド音楽やらお祈りの声がスピーカーから流れてくる。千手観音みたいに手がたくさんある神様。

■キョーン?
なぜ?why?の意味。村で調査に行って、アシスタントのインド人院生が「調査に来たから答えて」(たぶんそう言ってると思うが、確信はない)と言うと、「キョーン?」という声が返ってくることがある。すると、アシスタントのサンディープ君は、手に汗かきながら一生懸命説明して、村人は一応納得して調査に協力してくれる。確かに「キョーン?」と言いたくなる詳細な調査ではある。。。

■ゲフン、マッカ、ゴビー、アール、ムーリー、
小麦、トウモロコシ、キャベツ、ジャガイモ、大根、


■ムルグ、クッタ、ベス、バクラ
→鶏、犬、牛、ヤギ、(調査の項目)

■ラルカ、ラルキ、バッチャー
男の子、女の子、赤ちゃん(調査の項目)

■ベッドベッド
→「座って」の意味。村の人の多くは、簡易ベッドのような四角い金属枠にネットを張ったようなベッド兼ソファのようなものを使っている。風通しが良くて軽いので、とても便利。昼間は壁に立てかけたりしている。調査に行くと、その簡易ベッドみたいなものに「ベッドベッド(座れ座れ)」と勧めてくれる。なお、貧しい家ではそうした簡易ベッドは使っておらず、土間で寝起きしている。我々も土間(まさに土)に一緒に座って話を聞くことになるので、腰が痛くなる。。。

■カハン
→どこ

■パニー
→水。日本なら、インド料理屋で「パニー、ディージェ」と言って水を出してもらって飲めばいい(日本語で「水ください」って言えばいいけど・・・)。でも、インドのレストランやホテルのパニーは水道水、村で出されるのパニーは井戸水で、いずれもいわゆる「生水」なので、飲まないようにしている。だから、実はあまり使わない言葉。

■サカハリ
→菜食者。レストランのメニューは、ベジタリアンかノンベジか、という二種類に大きく分かれている。「ベジ」と言えば伝わるが、サカハリと言えばなお分かりやすい。インド人学生や先生はサカハリが多いので、一緒に食事をするときはこちらも自ずとサカハリなボジャンになる(?)。

■ナマック
→塩。インド到着してから数日が経った時に、塩不足で体調不良になった。ホテルの部屋に置いてあったので、そこから中身を拝借して持ち歩き、水と一緒に摂取するようにしている。

■チャイエ/ナヒンチャイエ
→下さい/要らない。(ナヒン+チャイエ)



PHSへのメールが溢れました・・・

連絡事項です。

大学のアドレスへのメールをPHSに転送してるのですが、PHS側でメール転送がいっぱいになってしまい、PHSのアドレスではメールを受け取れない状況になってるみたいです。

大したメールは来てないとは思いますが、もしどなたかに問い合わせがありましたら、そのような事情を説明していただけたらありがたく思います。

ヨロシクお願いします~。

インド10日目ぐらい

10月19日夜、ホテルkanchanにて記す。

インドのマディア・プラデーシュ州にあるインドールという都市に来てから、一週間以上が経ちました。12日にインドールに到着して13日に村に初めて行き、14日、15日と体調不良でお休み。それから16日~19日と4日間、村の調査をやりました。村の中で、40軒ほどの家を巡ったでしょうか。

まず体調についてですが、16日以降はすっかり元気です。快調すぎて、後からガツーンとやられるのではないかと心配なぐらいです。調査は暑くてしんどいですが、とりあえず元気にやってます。

振り返ってみると、14日に体調を崩したのは、おそらく初インドということで緊張や移動疲れが原因だったような気がします。でも15日の体調不良は、「塩分不足」だったのではないかと自分では思ってます。

というのも、16日の朝に、どうも全身がだるい感じが取れなくて、ふと飛行機の機内食で出されて使わずにキープしていた塩を舐めてみたんですね。そしたら30秒ほどでフワワァ~とだるい感じが取れて、頭と体が劇的にスッキリしてきました。劇的ビフォアアフターですよ。まあ、なんということでしょう!っていうぐらいに、急激に復活して調査に出かけました。塩は魔法のクスリです。以後、なるべく意識的に塩分を摂るようにしています。

弱ってる時にはスープを飲めという先生の薦めで、インドに来てからカレーなどはほとんど食べずに、中華スープや焼きめしなどを食ってました。ホテルの料理はとても美味なのですが、日本と違って、あまり塩を使わないで味付けをしているようです。でも、日中は暑いので汗をかいて塩分が出て行く・・・ということで、塩分不足になっていたようです。熱中症のように劇的な症状が出なかっただけに、塩分不足というのは盲点でした。

で、塩分をこまめに摂取しながら、4日間続けて村に通いました。一日休みを置いて、また21日から数日間村に通う予定です。

日中の気温ですが、だいたい33度から34度ぐらい。緯度は沖縄より南に位置してますので、日差しは強烈です。雨期が終わって乾期に入ってすぐなので、地平線の向こうまで雲ひとつ見あたりません。湿度は30%程度。乾燥がきつくて唇が乾くので、リップクリームを塗ったりしてます。日本で冬用に使ってるやつです。でも、夜はわりとひんやりしますし、明け方は肌寒いくらい。日中でも風通しのいい日陰にいればとても気持ちがよい気候です。こういう湿度感覚は日本ではありえないので、ちょっと癖になりそうかも。

調査対象地の村は、200世帯ほどの大きさです。村内の道路は基本的に未舗装が多く、溢れた井戸水が垂れ流しになったりしていて、村の入り口の道路はずっと泥でグチャグチャしてます。井戸の周りでは、日中は女性たちが洗濯をしています。色鮮やかなサリーを着たお母ちゃんたちが、洗濯棒(?)で洗濯物をバコンバコンと叩いています。日差しよけをかねて、サリーで顔を全部覆っている人もいます。

調査隊(?)は、村の真ん中あたりにある大きな木の下に車を止めて、二人一組のグループを作って出かけます。木の下には牛と水牛がつながれているので、牛の糞を踏まないように気をつけながら車を降りて出発準備をします。

調査の内容ですが、一世帯ずつ訪ねて、10年前にやった調査を元にしながら、10年間の変化を把握します。各世帯の耕地面積、家電や家畜の数、世帯構成員の職業や学校、新しく産まれた家族などについて、詳細に記録を付けていきます。基本的には、インド人の大学院生アシスタントが村人にインタビューをして調査票に書き込むので、アシスタントが記入した調査票のチェックと写真撮影が自分の主な仕事です。あとは、気が向いたら村人に村の地図を書いてもらったりしています。

10年間の変化を追う調査なので、当然ながら世帯主が亡くなっていたり、子どもが亡くなっていたり、離婚したり、子どもが養子に行ったりしています。家畜の数や職業や収入は、変わったり変わらなかったりですね。変化するカーストと変化しないカーストがいると、一口に言えないような状況です。

まだ4日間しか調査に参加していませんし、二種類のカーストの人たちの家に行っただけですので、細かい点は分かりません。でも、どうやら各カーストの中で「富める世帯」と「貧しいままの世帯・変化がないので相対的に貧しくなっていく世帯」に分かれていく階層分化が進んでいるようです。

村の近隣に大きな工業団地があり(この村が調査地として選ばれたのも、工業団地の近隣農村だったから)、農業労働者や耕作者の人たちが、工業労働者になったりしています。農家の人たちは、農業労働者の人不足に悩みながらも、作物をより高く売るためにトラックを購入し、ケータイで市場価格をチェックしながら1000キロ以上遠くの大都市の市場に野菜や収穫物を売りに行ったりしています。

そういうトラックの運転手として、低カーストの人々が雇われたりしています。もちろん、ある程度の教育を受けた人ならば、工業団地の工業労働者として働く人もいます。日雇いの農業労働者や「ヤギ追い」として働いている人もたくさんいます。

そういった社会-経済的な変化を通じて村全体の現金収入が増えたせいか、村の中には新しい売店がいくつもできています。売店はドカンと呼ばれ、小さなキヨスクみたいなものです。小さな村の中で、3つも4つも新しいドカンができているようです。

ま、そのあたりの村の社会構造についての分析は先生にお任せするとして、とりあえず今回の調査を通じて、この10年間の変化の輪郭が見えてくるようになってきてるようです。(たぶん)

ところで、我々がインドールに滞在している10月後半は、ドゥルガと呼ばれる神様のお祭りの季節で、明日明後日(20日、21日)あたりにピークを迎えるようです。インドールに着いた初日から、ホテルの周辺では真夜中まで大音響のインドミュージックやお祈りが流れてますし、街中も村も、あちこちでお祭りの飾り付けがされています。

最初の頃はうるさくて眠れなくて耳栓をしてましたが、ここ4-5日は、耳栓なしでも眠れるようになりました。クラクションの音も、さほど気にならなくなってくるというのも不思議なものです。

・・・と書いたのですが、日付が変わる頃、外はいよいよやかましくなってきました。常時流れているインド音楽とは別に、誰かがマイクで何かのMCをしています。突然ハッピーバースデートゥーユーを歌い出したり、絶叫してみたり自分で何かを歌ったりするんですね。それも数カ所別々のところで同時開催です。

沖縄のエイサーも、夜遅くまでドンドコと太鼓を叩いて練習したり踊ったりしてますけど、先生曰く、インドの場合は「他の人に聞かせてあげるために、わざわざ大音量にしてくれている」んだそうです。村でも、日長一日中、お寺からお祈り(お経みたいなやつ)や音楽が、あちこちのスピーカーから別々に聞こえてきます。慣れれば鳥のさえずりみたいに聞こえてくるんでしょうけど、まだそこまで達者な「インド耳」にはなれません。

長くなりましたが、近況はそんな感じです。インド滞在もあと一週間ということですが、終わりが見えてくると急にインドと仲良くしたいような気分になってくるので、不思議なものです。日本を出発する時は、ほんとうに果てしない期間を過ごすような気になってたのですが、もう折り返し地点を過ぎてしまったんですね・・・と、ちょっと感傷に浸ってみたりして。

This is India!


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インド5日目くらい

10月15日早朝、indoreのHotel Kanchanにて記す。

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インドールに着いて三日が経ちました。
インドールには夜になって着いたので、その次の日に、現地の大学の先生と一緒にタクシーをチャーターして村に行きました。

インドールという街は、人口150万人ぐらいの地方都市です。
デリーとムンバイ(ボンベイ)の中間あたり。マディアプラデーシュ(MP)という州にあります。

人口規模で考えると神戸市と同じように思えなくもありません。
でも、そもそも都市感?が違います。端的に言えば「低層で高密」。
超賑やかな下町の喧噪が延々と拡がっている、と表現できるでしょうか。

街の東にあるホテルから、中心部を通り抜けて西の向こう側にある村まで、タクシーで一時間ぐらいかかります。インドの交通事情は大変です。でも、インドではまだ、日本で言うところの「渋滞」には出会ってません。ぴたりと止まって動かない、なんてことはありませんので・・・。

道路には、歩行者、台車、荷車、牛や犬、自転車、オートリキシャ(3輪バイクのタクシー)、バイク、自動車、ローリー(トラック)がひしめき合います。それらが全員、自分の行きたい方向に向かいながら、動きを止めることがないのです。ジワジワと動いていくんですね。だから、ぴたりと止まるような「渋滞」はありません。道路全体が、大きな一つの生き物のように、蠢いている感じです。

もちろんよく事故ります。あちこちでぶつかってますし、我らがタクシー(インド国産車のアンバサダー。運転手は笑顔が可愛いムスリムのハビブさん)も、御輿を担ぐようなお祭り状態の交差点で右折する時、子どもを軽く押しのけたりしましたが、かすったりぶつけたりする程度なら問題ない・・・みたいです。道路を歩くときは正直命懸けですが、歩いてる人は、ほとんど車の存在を無視して横断してきます。そして、牛にはクラクションが完全に無効なので、道をふさがれたら止まるしかありません。当然です。

我々の調査地はインドール郊外の農村です。インドールのヘビーなトラフィックを抜けて農村風景に突入します。途中で舗装道路がなくなり、悪路を通り抜けます。妙に車高の高いアンバサダーというインドの国産車の面目躍如といったところでしょうか。タクシーではアンバサダーを指定しないと、悪路が通り抜けられません。

村に入ると、まず小学校に向かいましたが、土曜日だったのでお休みでした。すぐに村人や子どもが群がってきます。先生の知り合いの人もいるみたいです。前回(今年の2月)、先生が来たときに撮った写真を配ったりしながら、村の一番小高いところにある祠に向かいます。

何かのお祭りがあるということで、きれいの飾り付けられた祠の中で、お祈りをします。先生がお布施をして、ブラーミン(僧侶)が我々来訪者一人ひとりにビンディ(額の赤いやつ)をおでこにつけてくれます。そして、右の手首にお祈り用の細い柔らかい紐を結んでくれました。

お祈りをした後も、村のあちこちの家を訪ねながら写真を撮ったり配ったりしながら、村の中でいろいろと案内をしてくれるアシスタントを探します。調査では、ヒンディ語と英語を話せる現地の大学院生をアシスタントに雇うのですが、村のことに詳しくて英語もちょっと話せる住民も雇えれば調査をする上で都合がいいということのようです。

でも、英語がちょっと話せる男性は、現在はほとんどお勤めに出ているので、今回はなかなか見つからないみたいです。(以前は、みんな失業してた時期があって、そういう時はすぐに現地アシスタントが見つかったそうです)

村入り初日の最後に、毎回お世話になっているというサルパンチ(村長)の家に行きました。サルパンチの家では、はじめにお水を出してくれましたが、水は井戸水なので丁重に断ります。しばらくしたらチャイを持ってきてくれました。話をしてるうちに(たぶん雑談)、日本の緑茶と紅茶の違いについて聞かれ説明すると、砂糖もミルクも入れない緑茶というものは想像できないと言われました。先生曰く、毎度毎度、あちこちで緑茶の話を聞かれるそうです。つまり日本茶とは「インド人もびっくり」な飲み物らしいですよ、母上。

サルパンチの家で、一人だけ汗をだらだら流していたら、天上に付いているfanを指さして「今は停電中なのでfanが使えないんだ」的なことを言われました(たぶんヒンディー語でそう言ってたはず)。お気遣いありがとうございます・・・。電力事情が悪いので、特に農村部への電力供給は時間制での割り当てになってるみたいです。そういえば、この日の朝刊(ヒンドゥスタン・タイムス)にも書いてあったっけ。

そういえば、通りがかりに小さいリンゴを切って渡してくれた村のお兄ちゃんがいました。先生が食ってたので、見習って食いましたが、砂と泥にまみれたリンゴを口に入れるには、かなり勇気が要りました。(次の日は案の定下痢しましたけどね・・・)

たっぷりハエまみれになった村からホテルまで一時間かけて戻り、この日は終了。ホテルの隣にある国際電話屋さんに行ったり、インターネットカフェを探したり、ドカン(キヨスクみたいな売店)でミネラルウォーターを買ったり。

翌日曜日はさっそく調査開始だったのですが、僕自身は体調不良で先生からホテル待機を命じられました。村から帰ってきた後に、しばらくしたら少々下痢気味だったのと、少し熱が出たので、大事をとってお休みをいただくということに。本日月曜日は先生の休養日なので、昨日今日と二連休になりました。ということで、僕の調査参加初日は、16日になりそうです。

日本から持ってきた薬のおかげか、下痢は止まり、体調全般の悪さも回復傾向にありますのでご心配なく。体の中のいろんなものがインドと反応して免疫を作ろうとしてるような雰囲気です。今日も一日休みますので、たぶん大丈夫だと思います。

最後に、騒音について書いておきます。ちょうど何かのお祭りのシーズンらしく、インドールに着いてから毎晩のように、そこらじゅうでお祭り騒ぎです。複数の場所から大音響でインド音楽や太鼓の音が流れてきます。少なくとも午前2時過ぎまではうるさいです。

お祭りでなくとも目の前の道路は朝から晩までクラクションの嵐ですし、それに加えて窓の外では鳩や牛が鳴きます。僕の部屋は102号室なのですが、部屋は実際には3階にあります。それでも、静寂なんてはまだ一秒も訪れません。飛行機用に百均で耳栓を買って持ってきて使ってるのですが、ほんとうに良かったとつくずく思います。インド人はいつ寝てるんだろう・・・と、本気で不思議に思ったりします。

体調不良も騒音も埃まみれの空気も、ここはインドですから、なんとか付き合っていこうと思います。
ちなみに、ホテルの部屋では朝しか熱いお湯が出ません。お湯をバケツに貯めて、小さな手桶でお湯を掬って体を洗います。まあ、お湯が出れば十分です。
This is India.

インド初日!

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11日11時45分、タイエアーで関空発
5時間後、バンコクの空港着
2時間ほど空港でぼんやりして、デリー行きのタイエアーに。
インド時間(日本より3時間半遅い)22時20分過ぎにデリー着。
入国手続きを済ませて23時過ぎにtaxiで空港を出る。
23時半ごろ、グルガオンのホテル着。

12日6時起床。
朝食後、ホテルの外をウロウロ。写真はその時に撮ったもの。
体調は、喉の調子が少し悪いこと以外は概ね良好。
昼頃から、郊外型ショッピングセンターを見学に行って、夕方はデリーの空港から国内線でインドールに向かう予定。
(12日午前9時半更新)

とりあえず、無事に着きましたのでご報告。
ホテルの部屋でPCが使えるので、日本語で更新できます。
写真もupできる。日本と変わらない感じです。

次からは一人でも来れるように、インド慣れするように頑張ります~。

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10月中のブログ更新について

ということで、10月11日から10月28日まで、インドに行ってますので、ブログの更新も滞ります。

向こうでwebが利用できれば更新する可能性もありますが、まったく未知数です。

コメント欄が荒らされたりしてたら、適当に流してください。でも、応援コメントは大歓迎ですのでヨロシクお願いします。

いってきます

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ごきげんよう!

今日の空模様

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いよいよ明日出発です。調査票の準備やら、いろいろ最後のツメに勤しんでます。

大学も工事の音が賑やかになってきました。

改修工事@国際文化学部あたり

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こんな感じになるまで剥がしてます。

さてさて、インド行きに向けて。

昨日は熊本からとんぼ返りで帰神して、今日は荷物の片付けや新たな荷造りをしたり、インド映画を観たり英語の勉強したりしてたら終わってしまった。

懸案だった台風15号も、どうやら九州に接近する前に台風であることをやめてしまったようだ。(何だろう、この言い回しは?)

もし台風のまま上陸してたら、ちょうどインド行きの飛行機とニアミスしそうだったので過剰に心配してたけれど、どうやら大丈夫そうだ。まあ、雨風は多少心配だけれど。。。

明日明後日と過ごしたら、木曜日の早朝には出発することになる。まるで実感が沸かない。とにかく、行ってみないと分からないことだらけなので、何をどう準備していいのかもよく分からず、闇雲に部屋の中をウロウロしたりしてみるばかり。

インド人の後輩のお兄さんがとてもいい人で、わざわざ電話をかけてきてくれて「メロンやスイカは食べないで下さい。雨期は終わってますが、水分が多い果物は危険です」など、その他諸々の諸注意をしてくれた。ありがたいことこの上ないが、その分不安も増している。。。水分の少ない果物なら食べても大丈夫ってことか・・・??

とりあえず、先生から言われたものだけは忘れずにスーツケースに入れて、英語とヒンディー語の勉強をして、暇をみて「地球の歩き方」でも読んで、不在の間の段取りをして・・・というぐらいかなぁ。全然頭が働かねぇです。

そういえば、もう2週間も前からインド行きに備えて伸ばしてるヒゲも、全然中途半端な感じ。たぶん、一ヶ月経ってもあまり変わらないんじゃないかっていう予感。まあ、ないよりマシかなという程度で。

ということで、ぼちぼち準備します。

石垣は熊本城にあり。

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石垣マニアの人は熊本城にいけばいいと思う。すごいんだから、ほんとに。。
 

熊本ラーメン

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熊本ではラーメンしか食べていないと言っても過言ではない。ちょっと過言か。

…でも二日間でラーメン三杯って、どんだけラーメン好きやねんて感じです。

今日の空模様@熊本

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熊本は大都会です。そして暑いです。

最高気温32度とか、ほんま無理やし。

博多で乗り換えて熊本に行く。

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とりあえず、ホームで博多ラーメンを食ってみた。

( -_-)美味かった~。

因島の脱力はっさくゼリー

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自分用広島土産。

因島には行ってませんけどね。いわゆるジャケ買いです。素朴な手作りゼリーでした。

ところで、彼の名前は…?

今日の空模様

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さすがに十月なので、秋の風に近づきつつある。

空はまだまだ夏っぽい?

あと一日

土曜日は朝一番で熊本に向かうので、実質的には、発表の準備はあと一日。

パワーポイントの再構成や最終チェック、発表のリハーサルをする時間まで考慮すると、準備の時間が到底足りないのではないかという気がする。いや、気のせいではない。のんびりしすぎたか、インドに気を取られすぎたか。っていうか、その両方だろう。

15分の発表なのでスライドは20枚程度を目標にしているのだけれど、既に25枚ぐらいあって、まだもう少し増えそう。この要領の悪さは何だろう。。。もっと削って削って。

ぐだぐだ言っても仕方ないので、とにかくスライド作りに専念するのみなのだ。

オクラと骨組み

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似てるもの。

重ねたオクラと、改修中の大学。

でもオクラの方が美しい。

インドに行きますよ。

来週から、インドの農村調査に参加してきます。

10月末には帰国する予定です。3週間ほどですね。
初めての海外調査です。しかもインド。
不安でいっぱいです・・・。

8月9月と、木曽三川地域での調査と並行して、インドに行く準備をしてきました。いよいよ来週に迫ってきて、バタバタ感が増してます。

帰国したら、今までの研究をまとめながら、博士論文を書き上げて、今年度中に博士課程を修了する予定です。

でもその前に、今週末の熊本の学会発表があるので、今週はその準備であたふたしてます。

ということで、ナダタマの更新が先月からまったく手つかずの状態が続いていて申し訳ないのですが、ご勘弁下さい。。。すんません。

しばらくは頭の中が、学会発表の準備とインドの準備でいっぱいいっぱいになってますので、そっと見守っておいてください。

郷土の歴史なのか、それとも現在なのか。

※自分向けの研究用のメモなので、推敲してません。わけわかんないところも多いかと思います。あしからず。

副読本の分析の軸をどのあたりに設定したらいいのか、延々と悩みながら合宿から帰ってきて、とりあえず副読本の内容を表にまとめたものをぺらぺらとめくる。とにかく、どうしたらいいのかよく分からないので、表を印刷した紙をぺらぺらぺらぺらするばかり。

うんうん言いながらぺらぺらしてると、災害に関連する記述が、「安全」の章と、「郷土」の章と、どちらか、または両方に掲載されているという違いがなんとなく気になり始めた。

前回は、「過去を学ぶことが防災につながるかどうか」という判断や感覚の違いが副読本の「災害関連記述」を左右するのではないか・・・ということを書いた。

で、今回の「もやもや」では、「安全」の章=現在、「郷土」=過去という区分けができるのではないかというものだ。過去の出来事として紹介される災害記述と、現在の「安全」を守るために「災害の危険性」や対応策を示していくという違いがあるのではないかということだ。

まあ、そういう違いがあるというのは当然なような気もするけれど、「学ぶべき郷土像」が示された副読本の中に、二種類の「災害」像があるということは、ある種の発見でもある。

そんなあたりに注目しながら、改めてぺらぺらしつつ大まかに見ていくと、岐阜県側の自治体では、昭和50年代には「安全」と「郷土」の両方の記述がなされていたものの、改訂が進み平成に至る頃には、多くの自治体で「安全」の項目が消滅し「郷土」の項目において過去の災害が記述される傾向を見いだすことが出来る。

一方で、愛知県側の自治体が作成した副読本では、「安全」と「郷土」のどちらかに偏っていくという傾向はないような印象である。そして、削除されずに残されている「安全」の項目では、新たに地震防災のための備蓄倉庫や新たに造られた雨水貯留施設などについて記述される。伊勢湾台風、東海水害を経て、さらに東海・東南海地震への対応が叫ばれる中で、そうした記述が新たに加わってきたのであろうか。

ということで以前書いた内容を含めると、次のようにまとめることができる。

用水の建造など、自治体のスケールを越えた広域な地域のつながりが「郷土」として示される一方で、合併によってローカルな先人顕彰や地域の被災状況などの記述が削除されていく傾向を見いだすことができる。

また記述内容が全体的に減少傾向にある。その背景にあるのは、市町村合併だけでなく、指導要領の改正による「調べ学習」の重視によって、「知識提供」型の副読本という体裁が必要とされなくなりつつあり、「何を教えるのか」ではなく「どうやって学ぶのか」という内容が重視されるようになったために、記載内容が減少している。

全体的にはそのような流れが見られる中で、副読本における災害記述は、「郷土の歴史」として位置づけられた災害像なのか、「安全」のための災害対応なのか、という二種類に分けられる。

この二種類の災害記述を念頭に置きながら、地域の違いや年代の違いに着目すると、いくつかの傾向を指摘することができる。まず一つは、過去の災害を学ぶことが未来の防災につながる「輪中地域」では、堤防強化や排水機の増設によって災害は過去のものとなりつつあり、災害記述は「郷土の歴史」として示されるという点である。

一方で、非・輪中地域であっても、伊勢湾台風や東海水害、そして来るべき東海・東南海地震への備えとして「安全」の項目において災害が記述されるようになりつつある。ではなぜ、木曽川左岸の御囲堤で守られて、恒常的に水害に危機に曝されてきたわけではない愛知県側の副読本には、そのような「安全」の項目に災害記述が掲載され、一方で輪中地帯として知られる岐阜県側の木曽三川流域では、「郷土の歴史」として災害が位置づけられて副読本に掲載されがちであるという傾向が見られるのであろうか。

これは推測に過ぎないが、災害の危機意識が極めて短いサイクルやスパンによって構築されていくからではないだろうか。ある意味で「災害を乗り越えた」という感のある岐阜県側の輪中地帯では、新たな災害の危機を啓発するような内容は盛り込まれず、現代における「地域の安全」の項目から災害関連項目は削除される。一方で、東海水害や東南海地震等の危機を身近に感じている愛知県側では、「安全」の項目における災害関連の記述が充実していく、というようには考えられないだろうか。


もちろん、副読本の記述の分析だけから、「災害への危機意識が醸成される時間的サイクル」について論じていくことができるのかどうか、まるで自信はない。でも、この点に関してもう少し深めていけるのではないかという気がしている。もうちょっと頑張ってみようと思う。

今日の空模様

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山幹のコープ前に生えてた木が、急にいなくなりました。妙に見通しが良くなって、こざっぱりしてしまいました。

少し乾燥してますが、過ごしやすい空気です。

Extra

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