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風レンズ風車

最近開発された「風レンズ風車」をご存じだろうか。

従来の風車の数倍の発電量を得られるという。「渦」研究の成果だ。

風下側に敢えて渦を作ることで空気圧が低下して、周囲よりも強い風が、風車の羽を回すことになる・・・とのこと。

細かい計算は分からないが、福岡県庁のHPによれば、風の強さが1.4倍になり、その結果、発電量が3倍になるという。


3倍って、革命的な数字じゃねぇの?

新型プリウスの燃費が、スーパーカブ並みになるってことですやん。

太陽電池の発電効率だって、ここ10年以上かかってようやく2倍近く出せるか出せないかっていうぐらいなのに。


とりあえず、「風レンズ風車」で検索してみてくださいませ。わくわくしてきますよ。

製品化とか普及とかはまだまだ先の話かもしれないけれど、楽しみです。


風邪の話よりも、風の話がいいですね。
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コーゾーとカ

某コーゾーさんの話ではありません。


どなたか、『構造と力-記号論を超えて-』を読んだ方はおられます?

鞆の浦の署名活動

2006年の秋にゼミ合宿で訪れて以来、何かと気になっている鞆の浦の話題です。

先月から、埋め立て架橋計画の中止と、世界遺産登録を目指すための署名活動が始まっているようです。当ブログの1年半前の記事に、鞆の浦の埋め立て架橋問題に関心を寄せておられる方からコメントをたくさんいただいております。

鞆の浦の埋め立て架橋問題については詳細については、当該記事「開発か、保存か。」および、その後1年半にわたるコメントのやりとり等をご参照ください。

※鞆の浦の写真はこちら
※「鞆の浦」で検索したら、いろんなサイトが出てくると思います。


鞆の浦に行ったことのない方がおられましたら、近いうちに、ぜひとも訪れていただけたらと思います。瀬戸内海に突き出した半島の先端にある、山に囲まれた小さな港町です。江戸時代の「潮待ち港」として栄えた町並みや風景が残されている・・・と紹介されることが多いのですが、宮崎駿がこの町に惚れ込んで、今夏公開される「崖の上のポニョ」という作品の舞台となった町でもあります。

署名をしたからどうなるというものでもないかもしれませんけど、趣旨に賛同される方がおられましたら、mixiやブログなどで紹介して頂いたりして、ちょっとでも関心を持つ人の輪が広がっていったらいいなあ・・・と思います。

署名用紙をダウンロードするサイトはこちら

ウィルスソフトの更新期限を前に悩む日々。

ウイルスソフトの更新期限が迫っている。

自宅で6年ぐらい前から使っているパソコンなのだが、
昨年の夏に不調になって、何度か再インストールを乗り越えて今に至っている。

そのため、今年の夏は乗り切れないんじゃないかという気がしているので、
一年更新にお金を払うのが馬鹿らしいようにも思う。

もう一台の仕事用のノートパソコンには、別のウィルスソフトが入っている。最近では同じIDで3台までインストールできる!というお得なサービスになっているのだが、6年前から使っているWin2000のPCには非対応だという。不便極まりない。。。

こればかりは入れないわけにはいかないので仕方ないのだけれど、件のWin2000マシンに入っているのは評判激悪の某ソースネクスト社のウィルスソフトなので、可能な限りお金をかけたくないという心情も察していただきたいところ。

ということで、あと一ヶ月ばかり無駄に悩む日々が続きそうです。
そんなことより博士論文ちゃんと進めろよって話なんですけど。。。

ど根性の増殖

ど根性大根として一世を風靡した、相生市の「大ちゃん」。

大ちゃんの「孫」の世代にあたる「大ちゃん3世」たちが、収穫の時を迎えたというニュースが流れていた。

大ちゃん3世たちは、約20アールの畑に12000本ほど育っているという。要するにただの大根なのだが、「大ちゃん効果」は果たしていつまで持続するのだろうか。

相生は大根の産地として有名だった・・・はずではない。でもそれは、今のところ有名ではないというだけで、もしかしたら大根の名産地になるかもしれないのだ。これぞ大ちゃん効果。相生市長の才覚が試されるところだ。

兵庫県民としては、アスファルトの割れ目に落ちた大根の種の神話が、何百年と語り継がれることを他人事ながら心から願っている(?)。そして、時代に合わせて大ちゃんの神話が変化していくのを目の当たりにできるとしたら、研究者としては実に興味深いのである。

改修工事@国際文化学部あたり

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こんな感じになるまで剥がしてます。

オクラと骨組み

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似てるもの。

重ねたオクラと、改修中の大学。

でもオクラの方が美しい。

徳山ダムに水が貯まりません。

以前、徳山ダムの工事が昨年度に完成し、今年度は湛水実験を続けていることを書きました。

年内に満水まで水を溜めて堤体や周辺部に異常がなければ、来年度から正式に運用がスタートするという運びになります。

ところが、水が貯まってません。

梅雨が明けて、貯水率が30%を超えません。
実験中なので、水を発電等に利用もしていないにも拘わらず、です。

現在、流入量と放流量がほぼ一定の状態になることが多く、素人目には、かなりの量の雨が降らなければ、湛水率が革命的(?)に高まる状況は期待できなさそうな雰囲気なように思えます。

周辺地域の平均雨量を調べましたが、今年が格別雨量が少ないということもなさそうです。今年の6月には空梅雨疑惑も言われてましたが、7月8月の台風の影響などで雨量としてはそこそこ降ったようです。

8月に入って放流量をかなり増やしていることも影響しているのかもしれません。理由はよく分かりませんが、下流側のダムの貯水率確保などが影響しているのでしょうか・・・??

まあ、「たまたま」なのかもしれませんし、大雨が降れば早明浦ダムのように一発で満水になるのかもしれません。冬時の降雪量が少なかったことが影響している可能性もあります。

とにかく、今年度中に満水まで水を溜めなければ、湛水実験は完了しないはずですので、今後も注意深く見守っていこうと思います。30年以上の歳月と3500億円という資金を注ぎ込み、徳山村を水の底に沈めて造った、日本最大の多目的ダムですから。

そして、「輪中地域の洪水防止」がこのダム建設の最大の名目になっているわけですから、注目しないわけにはいかないのです。

参考:wikipedia「徳山ダム」

家康を呼び戻すために

静岡で生まれ育ったのに、縁の深いはずの徳川家康の気配を全然感じないまま大きくなったことに最近気づいているわけだが、こんなサイトを見つけた。

大御所四百年祭「家康公を学ぶ」

監修しているのは、静岡市埋蔵文化財センター所長の黒澤脩という人らしい。「徳川家康のことを全然知らせようとしていないことが驚き」と言うてるそうだが、まさにその通り。

でも、江戸から明治になったときに、明治政府は江戸に属するものをすべて「時代遅れ」「反政府的存在」と、唾棄すべきものと位置づけていった。だから、江戸幕府が神格化して祀っていた家康の気配や、最後の将軍慶喜が暮らしていた「場所の記憶」を積極的に抹消しようとやっきになっていたのでは・・・という推測ができなくもない。

つまり静岡という都市は、江戸時代を積極的に捨てて、明治政府の下で殖産興業や富国強兵の先兵として工業化を進め、さらに大火や戦災を経て、記憶喪失のように徳川と断絶している・・・という仮説をたてることはできないだろうか。

でも最近になって、「静岡には、おでん以外には何もないのか?」と問うたときに、「家康が、徳川があるじゃないか」ということに気づき、記憶喪失から目覚めようとしているところなのかもしれないなぁ…なんて気分で、このサイトを眺めてみたらどうだろうか。

家康マニアになるには、今からでも遅くないんじゃないだろうか静岡人諸君!

ひのきみ

日の丸・君が代のことを「ひのきみ」と略称するらしい。
業界用語?

研究室で喋っていたら、日の丸・君が代の話になった。

日の丸・君が代を強制したとしても、ミサイルやジェット機が飛び交うような現代の戦争を想定したときに、ナショナルなアイデンティティや愛国心は何かの役に立つのか?という疑問が沸いた。それなのに、なぜそこまで国旗国歌を強制したいのか・・・?

強制に反対という理由はよく聞くが、強制推進の理由がイマイチよく分からない。君が代を歌って国旗を掲揚して現代っ子の愛国心が高まるような気もしないし、強制されれば反発するのが若者の常だ。「ひのきみ」に、何かの魔力が備わっているという幻想でもあるのだろうか。強制はむしろ賢い戦略とは言い難いような気もする。だとしたら、何が目的なのか?

webで少し調べてみたが、やはり納得のいく答えが見つからない。

どなたか詳しい方がおられましたら、ご教示いただけませんでしょうか??

何かおかしくない?

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……柄の付き方がおかしい?

徳山ダム

最近、岐阜県の「徳山ダム」が気になって仕方がない。

僕の研究の調査地である大垣市には揖斐川という巨大な川が流れていて、その最上流部に最近完成したのが徳山ダムだ。子どもの頃、近所の丸子川に石積みのダムを造って遊んでばかりいたわけだから、川とかダムが気になるのは仕方ないのだ。

wikipediaの徳山ダムの記事を見てもらえば分かる通り、いろいろと問題を抱えながら完成した「日本最後の巨大ダム」と言われている。多目的ダムとしては文字通り日本最大のダムなのだ。

現在は「湛水試験」という期間で、昨年の秋からダムの試験をするために水を貯め始めた。ダムの水ってのは、溜まっている水がすべて「使える水」というわけではない。徳山ダムの総貯水量は約6億6千万トンで、現在の貯水量は約半分。これがダムの「最低水位」となる。

徳山ダムは正式には「中央遮水壁型ロックフィルダム 」と言い、簡単に説明すれば石を積み上げたようなダムだ。真ん中に遮水用のコアやフィルタが入っていて、水が漏れないようになっている。

このダム堤の高さは約160メートル。現在はダム堤の高さの3分の2ぐらいの水が貯まっている。これで約半分の貯水量(3億トン)、ということになる。

ダム堤の3分の2の高さまで既に水が溜まっているのだが、この水は「使わない水」なのだ。底のあたりに大量の砂が溜まったりするので、計画上、この水は無視することになっているらしい。

で、残りの3分の1の高さの水が「利用する水」ということになる。あと半年ほどをかけて、「利用する水」の部分を満水にするのだ。

今年の梅雨から秋にかけて降る雨を貯め込んで、限界ぎりぎりの6億6千万トンまで水を貯め込んだ後に、平常水位(5億トン)あたりまで水を戻して完成ということになる・・・らしい。

で、今日はわりと梅雨らしい雨が降っていたけれど、今年は空梅雨だの渇水だのという声が賑やかだ。この夏、徳山ダムにどれだけの水が貯まるのだろうと気になって、少し調べてみた。

遡ること2年前。2005年の夏も渇水の話題が賑やかだった。関西では、唯一の水瓶である琵琶湖の水位が気になるところだが、「渇水と言えば早明浦ダム」と連想するほど、渇水の際には四国の早明浦ダムが注目される。

2005年の夏、この早明浦ダムの貯水率が2回、0%になり話題になった。もちろん0%といっても、ダム底に「使わない水」が残っているので、その時はこれを使って凌いだ。

(残った水と言っても、水位だけで使い分けているだけなので、水質に違いがあるわけではない。ちなみに、渇水時に水の底から現れる旧大川村役場のコンクリートの建物は渇水の象徴のようになっているが、ダムに反対した大川村の人々が「抗議の意志」を示すために、計画決定後に敢えて建てたものらしい・・・。ある種のモニュメントのような存在だ。)

ところが、0%のニュースでワーワー騒いだ直後に台風が来て、たった一日で早明浦ダムは満水、つまり貯水率100%に戻ってしまった。渇水が解消するとほとんどニュースでは取り上げられなくなるが、この話には少々驚いた。

この台風の時にダムに流れ込んだ水は毎秒5千トンと言われている。3億トン弱の貯水容量がたった一日で満杯になったのだ。正確ではないが、イメージとしては5000t×15時間で、だいたいそのぐらいの水量になる計算だ。

早明浦ダムがなければ下流に洪水被害が出ていた可能性があるという話はあまり話題にならないけれど、洪水対策としてのダムが有効に機能したということになるのかもしれない。正直なところ、正確なシミュレーションができるような勉強はしていないのでよく分からないのだけれども・・・。

で、話は徳山ダムに戻る。

徳山ダムの有効貯水量は4億トン弱なので、早明浦ダムの上流に降った雨と同様の大雨に見舞われたら、瞬く間に満水になる可能性があるということだ。

大垣市での僕の調査では、「下流部の洪水被害の防止というのが、徳山ダム推進の口実になっているのが許せない」なんて声が聞かれたけれど、完成した実際に徳山ダムがどれほど機能するのか、ちゃんと注目していかなければならない。

渇水にせよ、大雨にせよ、そういう話が気になって仕方がない今日この頃。

あ、雨も上がったみたいです。

いい感じ

「いい感じ」「いけてる」「びみょー」


留学生たちも、かなり積極的使う日本語。

たぶん、楽だから。

端的に言えば「断定を避けた曖昧な評価として用いる言葉」なのだろう。

ポジティブな表現は、すべて「いい感じ」「いけてる」
ネガティブな表現は、「びみょー」

これで、表面的には感情を交換・共有できた気分になれる。


「あの映画、びみょーだった」
「あのお店、いい感じ」
「◎◎君、かなりいけてる」


実に便利な言葉だ。

ちなみにフランス人は、「かわいい」という言葉を多用している。



そして、自分とこの師匠も最近、「いい感じ」を連発する。

最初は、そういう言葉でしか喋らない(喋れない?)ゼミ生との意思疎通を図るために無理して使っていたようだが、どうやらボキャブラリの中に定着してしまったようだ。

「先生、最近できた◎◎、行きました?」
「あ、あれねぇ、結構いい感じでしたよ」
「え、どのへんがどんな感じでした?」

と、逆に質問することになってしまう。

先生の場合は冗談半分で聞いていられるけれど、「びみょー」や「いい感じ」ばかり目にしたり耳にしたりすると、「おめぇ、もっと詳細かつ具体的に言わなきゃ、聞いててわかんねーだろ。っていうか、そもそも自分自身が全然分かってねーんじゃねーの?」という気分に襲われる。


確かに、紋切り型で曖昧な表現を使えば、相手と違う感想だった場合のダメージが少なくて済むし、会話は楽になる。

感想や評価を話す時に、いきなり具体的かつ詳細な評価点を取り上げ、華麗な修辞法や例え話で評論するのは評論家だけで十分なのかもしれない。それはそれで、ウザイ人になってしまう可能性が大きいので、自分としては避けたいところだ。

こういう言葉は、現代日本社会のニーズを受けて多用されている言葉なんだろうし、それを否定するわけでもない。僕自身が喋る時も、このブログでも頻繁にこういう表現を使ってる自覚はある。こういう言葉を使うこと自体が問題だと言っても仕方ない。

「いい感じ」という雰囲気や漠然とした印象だけを通じて感情を交換できるというのは、それはそれで大事なことなのかもしれないし、微妙な差異を省略しながら「感覚を共有できている」という気分になって仲間意識を持てる等の作用は、見逃すことが出来ない大事な点だと思う。

でも、何を観ても聞いても、どこに行っても「いい感じ」「びみょー」という感想を持つようになったら、観察力や表現力がおろそかになりそうな気がしなくもない。とりわけ、人に何かを伝える仕事をする場合は、気を付けなければいけないなぁと思う。

もちろん、研究論文や書評に「いい感じ」「びみょー」が多用される時代は来ないと思うし、むしろこういう表現だけで小説の世界が成り立つのか、逆に興味がある。

ということで、自戒の念を込めてそんなことを考えてみた。

今日もいい感じの土曜の朝。

トマトもびみょーに育ってる。

-70度

20070424181053
すぐに-70度で保管できる自信がありません…。

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